プロフィール2 大学受験時代


 ここでは、自分の大学受験のときのことを書いてみます。

 高校時代の成績は、わりと良いものでした。 とは言っても、1学年約360人中現役で大学に進学できる者が 1ケタ台という学校でしたから、まわりを見ても勉強をするという 雰囲気は全くありませんでした。

 ですから、3年生の夏まで部活をするのが当たり前の環境で、 自分もそうしていました。



 定期テストの際には、必ずのように一夜漬け。 でも、それですら、勉強しているほうになってしまう程で、 成績が良いのも、自分ができるからというより、 周りができなさすぎるというのが、本当のところでした。

 実際、模擬試験などを受けてみると、偏差値が50を 超えているのは、国語だけ。 しかも、現代文の部分のみで点が取れているという状況でした。

 学校での成績が「5」の科目でも、偏差値は30台でしたから、 大学なんて、まるで夢物語でした。

 ところが、行きたいと思っているのは、はるか彼方の 大学の教育学部でした。



 冷静に考えると、何年浪人しても無理というのが、自分なりの結論でした。 「でも、行きたいんだ!」という気持ちのほうが強く、 「だったら、できるだけのことをやってやろう」と決意するまでに、 それほど悩む必要はありませんでした。

(もともと、楽観的なところがあったためと、  「やりたいんだから、しょうがない」と思ったためでした。)



 でも、具体的には、どうすればよいのかは、全然見当がつきませんでした。

 同級生の中には、参考書や問題集についてだけは詳しいやつが、何人かいて、 「今は、こういうものがはやっている」と教えてくれたりするのですが、 そういうやつに限って、成績はさっぱりだったりして、 あてにはならないなと感じていました。


 一応、お薦めの参考書等を見たりしましたが、さっぱりわからず、 少なくとも、今の自分には、合わないと思いました。 その時点での、学力と参考書のレベルとの差がありすぎたんですね。

 また、予備校などについても、 現実に、通っているやつから話しを聞いてみると、 基礎クラスの授業でさえ、ついていくことすら容易ではないとのことでした。 要するに、予備校の授業とのレベル差もかなりあったということです。

 こうして、決意だけはしたものの、現実は八方ふさがりの状況でした。


 今、ふりかえると、ここであきらめてしまっても、しょうがないような 気もしますが、「でも、行きたい」という気持ちが旺盛なのが、 唯一の救いでした。



 ここで、当時の状況を詳しく説明すると、 受験科目は、英・国・社でした。

 英語は、もともと苦手で、高校入試の際にも、20点も取れなかった程です。 とにかく、単語もほとんど、覚えていませんでしたから、 1からと言うより、0からのスタートでした。

 国語は、現代文の問題は、もともと得意というか、とりあえず点数は 確実に取れるという唯一の得点源でした。 それまでに、勉強したこともありませんから、 やらずにできる分野でした。

 ただ、古文と漢文は、ダメでしたし、できるようになるには、 相当の努力が必要だと感じていました。

 社会については、世界史を選択しましたが、好きなのは日本史のほうでした。 でも、日本史だと選択する受験生が多く、言ってみれば層が厚いと思っていました。 そんな中で、いい成績を残していけるようにするのは大変だろうと考えて、 特に好きでもない、世界史を選びました。

 そんないい加減な理由からすると、当然なのですが、 最初の模試では、偏差値で30ぎりぎり、まぐれ当たりの正解がいくつかあっただけでした。



 しかし、あきらめなければ、道は開けるものです。

 ふと、「自分と同じような状況から、合格した人もいるのではないだろうか」と 思って、合格体験記の本を読みあさることにしました。

 その際、進学校の受験生のものは、参考にしないようにしました。

 例えば、「単語は、長文を読む中で覚えればいいから、あえて単語集を使わないでよい」 なんて書いてあったりするのですが、そういう人って、もともとかなりの数の単語を知っているんですよね。 だって、そうじゃなければ、長文なんて全く読めないはずですから。


 で、探してみると、自分と同じような状況の人が見つかり、参考書・問題集は、すべて同じものをそろえることにしました。



 あと、実際、どの程度できるようになれば、いいのかということを調べるために通称「赤本」を買いました。 要するに、過去問を調べるということです。

 まず、合格最低点というものが載っていました。 年によってばらつきがあるものの、だいたい65〜70%となっています。

「70点平均でいいのか」
自分の実力は棚上げして、そんなことを思ったことを覚えています。

 むずかしい学校は、ものすごく良い点数を取らなければいけないと 思っていましたので、少々意外な感じがしたからです。



 傾向と対策という項目を読んでみると、 英語は、ほとんどが長文読解、それに文法が少々。 発音、アクセントは1、2問程度しか出ていないということが わかりました。

 国語は、現代文の比率が約50%、古文・漢文で約50%。 どちらも、相当難易度が高いと書いてありました。 試しに、ちょっと問題を眺めてみると、現代文はいけそうな感じがしましたが、 古文・漢文は、苦手なこともあって、全くわかりそうな気配もありませんでした。

 世界史については、結構、細かい所まで出題はされていますが、 いわゆる論述問題はなく、(  )に適切な単語を書くという形式のものだけでした。 また、日本史選択者に比べると、世界史選択者の合格率が高いことがわかり、 自分の直感が正しかったことを確信しました。



 次に、作戦を考えました。

 3教科全部はやれないと思ったので、国語は勉強しないことにしました。 現代文ができれば、50点は取れるし、古文・漢文はやってもだめだろうと 思っていましたから。(古文・漢文に専念できるのならば、そうは考えなかったかもしれませんが。)

 英語は、長文読解を中心に勉強していって、手をつけるのは文法までということにしました。 発音アクセントは、捨てました。

 世界史については、ひたすら丸暗記をして、問題演習で固めることにしました。 「広く浅く」という方針でした。


 国語は50点とすると、英・社ともに80点で、70点平均になります。 総合点のみで判定されるので、それで合格できるはずと、多少見込みは甘いものの、 どうすればよいのかという点では、迷いがなくなっていました。



 ここで、少し脇道にそれますが、模試と倍率について書いてみます。

 模試は、何度か受けました。
 普段、一人で勉強していますから、場慣れの必要があるというのが最大の理由でした。

 得点や偏差値、合格判定については、気にしませんでした。

 例えば、英語ならば、長文読解ができているかどうかだけが、自分にとっての関心事でした。 もちろん、間違えていたら、徹底的にその部分は復習しましたが、発音アクセントなどについては、 見直しすらしませんでした。

 国語についても、現代文の部分は気になりましたが、古文・漢文については全く無視でした。


 あと、倍率については、全然関係ないと思っていました。

 考えていたのは、とにかく「合格最低点を越えること」、それだけでした。

 実際、入学後に聞いたところ、実質倍率で24倍と言われましたが、 もしかして、事前に知っていたら、正直言って、多少はびびっていたかもしれません。

 合格最低点は、ぴったり70点平均で、倍率が高くても、 それほど、入学難易度が上がるわけではないんだなと、思いました。 要は、自分がどこまで、その学校の入試問題を解けるのか、ということで、 まさに「自分自身との戦い」、それだけのことでした。



 英語の勉強については、まず単語から始めました。 中学レベルの単語すら危ない状態でしたから、当然それらも含めての暗記です。

 大事なことは、とにかく繰り返すことだと思っていましたから、 一つ一つの単語に時間をかけるわけにはいかないので、 「単語のつづりを見る」「意味を考える」「すぐに思い浮かばなければ、即意味を見る」 「意味を見たら、すぐに次の単語に進む」 というようにして、進めていきました。

 単語を見た瞬間に、意味が思い浮かぶ位に覚えていないと、本番の入試の際には、通用しないとも思っていました。 最初のうちは、わからない単語ばかりなのですが、繰り返す回数が増えるにつれ、 意味がわかる単語も徐々にですが、増えていきました。

「覚えようとする」のではなく、「とにかく、見る回数を増やす」という考えでいたのが、 結果的にはよかったような気がします。

 この作業を、1週間位、それこそ、朝から晩まで、続けていきました。 (この間、それ以外の勉強はしませんでした。)

 結果として、中学単語を含めて、3000語程度はマスターできました。 このことにより、英語の問題を見ても、気後れすることは、なくなりました。 (だって、それらは、もう見慣れているものになってしまったわけですから。)


 苦手なものを得意なものにしようと思ったら、集中的に、徹底的に、やらないといけないのでは、ないかと思います。 「苦手意識」は、根強いものがありますから、それを覆すには、「これだけやった」と思える位までやることしかないような気がします。



 単語をある程度、覚えられたら、いよいよ、長文読解に入りました。

 長文(といっても、100〜300単語程度)のものを、訳してノートに書いていきました。 このとき、わからない単語は辞書を引いてもいいことにして進めていきました。

 一つの文に、何時間もかけました。

 終わったら、解答と照らし合わせて、自分で添削するという方法を取りました。

 最初のうちは、それこそ赤ペンだらけだったのですが、そのうちに見えてくるものがありました。 それは、ただ単に、単語の意味を羅列しても、訳したことにはならない、ということです。

 訳した日本文を読んで、わけのわからないものになってしまっていたとしたら、 結局は、その文が、何を言いたかったのかを理解していないということです。

I have a pen.
は、「私はペンを持っている」でいいのですが、
I have a dog.
は、「私は犬を持っている」というより「私は犬を飼っている」です。
I have lunch.
は、「私はランチを持っている」ではなくて「私はランチを食べる」ということです。


 簡単な例をあげましたが、「具体的には、どういうことなのか」ということを、 意識するようになって、英語の訳(解釈)というものが、だんだんと理解できるようになってきました。

 50問をやり終えたあとで、同じ問題を繰り返しました。

 これだけのことですが、徹底的にやった結果、 模試で、偏差値は20以上上がりました。 (もともとが、低すぎたせいもありますが・・・。)



 ここまで、書いてきた方法は、あくまで、長文読解力をつけるためのものです。

 実際の入試においては、そんなに丁寧に訳す必要というのは、なくなります。 せいぜい、「下線部を訳せ」のような問題のときだけで充分です。

大切なのは、「速読力」です。
そのためには、
・読んだ順番に訳していく。
・多少、いい加減な訳でもかまわない。
・わからない部分(単語など)は、訳は一旦保留して(抜かして)、とにかく先に進む。
というようなことが必要になります。


あと、
・特に、「主語と動詞(述語)」を重視する。
・話しの流れから、先を予測してから、読んでいく。
なんて、いうことも重要なテクニックだと思います。
わからない単語が多くても、「主語と動詞」の部分だけを、訳していけば、話しの大筋は見えてきたりしますから。




文法については、
選択式の問題をどんどん解いていくという方法で進めていきました。
(全然わからなくても、選ぶことならば、とりあえず、できますから。)

できなかった問題は、なぜその答えになるのかという解説を読んで、そこで覚えるようにしました。
これも、ひたすら、繰り返すことだけを考えていました。

 ある程度できるようになってから、文法の参考書を読むと、 書いてある内容を理解するのに、苦労することはありませんでした。
(先に、参考書を読んでいたら、多分挫折していたと思います。)




世界史
 教科書や参考書の記述順だと、頭の中が、ごちゃごちゃになりそうだったので、 国別にやっていくことにしました。
 この場合、同時代の横のつながりが弱くなりそうですが、 年代をきちんとおさえておくことを心がけていれば、問題はありませんでした。

 具体的な方法としては、 参考書の内容をまとめた暗記用ノートを、作ることにしました。
教科書だけでは、足りないことがわかっていましたから、 どのみち、参考書を使わなくてはならなくなるので、 それなら、最初から、参考書一本でいこうと思っていました。

 これは、あくまで「暗記用」ですから、解説や説明は書かないことにしました。 わからないことは、参考書の該当ページを、その都度読むことにしました。

なんども参考書を開くのは、面倒くさいものです。 ですから、そうしなくてすむように、読まなければならなかった場合には、 必死で覚えようとする利点もありました。

 ノートを作って、覚えたら、 すぐに問題演習をして、どの程度定着しているのかを試しました。 また、暗記ノートのまとめ方がよかったのかどうかのチェックにも役立ちました。

問題演習を、何度も繰り返したのは、言うまでもありませんが・・・。




併願校の決め方
全部で、4校受験したのですが、
・第一志望
・第一志望と同じ大学の違う学部
 受験生の数が多いので、その雰囲気にならしておくことなどが目的
 あくまで、第一志望のためのリハーサルと割り切っての受験
・第一志望と同じ傾向の大学でかつ試験日の早い所を2校
 気分良く、また勢いをつけて第一志望につなげたいという思いもあるので、絶対に落とせない

 とにかく、第一志望校で、力を出し切るためには、どうすることがよいのか というのが、考えていたことでした。




朝型、夜型
 基本的には、典型的な夜型でした。
 そのほうが、自分にとってやりやすかったから、というのが、その理由です。

 朝型のほうがいいという意見にも、うなずける点はあるのですが、 自分には向かないという感じがしたので、そうはしませんでした。

 これは、どちらでも、別にかまわないことだと思います。 要は、朝でも夜でも、やればいいわけですから。

 ただ、夜に試験をやる学校というのは、まず、ないですから、 受験が近付いてきたら、朝型パターンで行えたら、行ったほうがいいかもしれませんね。
(自分自身は、最後まで、夜型でしたから、とやかく言える立場ではありませんが。)




神頼み

もし、神様がいるとしたら、
自分を拝んだり、賽銭をあげたりする、そういうことで、力を貸すかどうか決めたりしないのではないか、
(そんな考えって、みみっちい人間のすることであって、神様の考えるようなことではない)
頑張っている人間、精一杯やっている人間を手助けしたくなるのではないか。

根拠はありませんが、そんな気がしていました。

ですから、初詣は神社などではなく、第一志望の大学に行きました。
もちろん、願い事などはせず、
「4月からは、ここに来る。ここが、母校になる。」
それだけを、思ってきました。




受験の実際
1校目は、2月13日でした。
1校目ということもあり、非常に緊張したのを覚えています。 ここまで、勉強してきたことが、はたして通用するのかということも、 正直気がかりでしたから。

ただ、試験が始まると、目の前のことに集中できて、1科目めが終わったときには、かなりリラックスしていました。 結果は、合格することができました。



2校目は、2月20日でした。

前回よりも、問題の難易がアップすることもあり、世界史は細かいところまで手をつけて臨みました。

ただ、「イタリア統一」という部分がややこしくて、覚えきれないので、試験会場に早めに着いて、そこでやることにしました。

でも、気が抜けている感じもあり、もっと緊張しないといけないと思ったものでした。

1科目めは世界史で、問題用紙を開いたところ、いきなりイタリアの地図が目に入りました。 直前までやっていた「イタリア統一」でした。

点数が取れるということ以上に、運を感じ、合格を確信しました。 「いい流れが、できた」ということが、すごくうれしいものでした。

結果は、合格でした。



3校目は、2月25日でした。

第一志望と同じ大学の違う学部の受験です。

かなり、受験生数の多いところなので、それに慣れておく必要があると思ってのことでした。

ただ、問題の傾向は、かなり違う上に、対策も立ててませんから、合否は最初から、度外視していました。

とにかく精一杯やって、翌日の第一志望につなげたいという思いだけでした。

結果は、予想通り、不合格でした。



4校目は、2月26日でした。
試験会場は、前日と同じなので、その点は、安心感がありました。 緊張感というよりも、気合がかなり入ってました。

1科目めは英語でした。

問題を見たとたん、気分が悪くなりました。

一通り見渡したところ、「できる」と感じたのが、裏目に出ました。
「できる問題」→「ミスするわけにはいかない」→「極度のプレッシャー」 という流れでした。

何度か、途中退室しようかと思いましたが、あぶら汗を浮かべて、お腹をおさえながら、なんとか乗り切りました。

80点は、いっているという手応えはありました。

苦しかった1科目めを、クリアできたことにより、その後は、気持ちが楽になりました。

2科目めの世界史も、細かすぎると思う問題もありましたが、その他は、やってきたことと同じなので、

やはり、80点は、取れたという気がしました。

3科目めが難関の国語です。

なんとか、半分取れれば、それだけを考えていました。

問題を見たところ、例年通りむずかしいものでした。 それで、合格最低点が極端に上がることは、ないだろうと思いました。 予定通りの50点、それが目標になりました。

解いていっても、なかなか、合っているのか、間違っているのかわからない状況でしたが、

漢文で、「再読文字」が出題されていました。
実は、直前に、再読文字だけをやっていたんですよね。 基礎的なものなので、まさか出るとは思ってなかったのですが。

「ツキはある」
その思いは強くなっていました。

試験が終わったときには、50点は、多分いっているのでは、ないかという気がして、 確信とまでは言えないものの、大丈夫だろうとは思いました。



発表までの、10日は、ずいぶんと長く感じました。

合格発表を見て、「やったー」と叫んでいる、ものすごいリアルな夢は、それこそ飽きるくらい見ることになりました・・。

発表当日は、1時間くらい遅く行きました。

でも、駅から歩いて行く途中、すれ違う人が、みんなうつむいているようで、正直いやな気持ちになりかけたところ、 やっと、大きめの封筒を持った人を見かけて、ホッとしました。

掲示板の前にたどり着くと、すぐに自分の受験番号「6563」が見つかりました。

今でも、忘れていないくらいですから、受験票を見るまでもないのですが、 そのときは、何度も何度も、受験票を見て、掲示板を見て、という動作を繰り返しました。

実感がわいてくると、ひそかにガッツポーズをして、手続き書類交付所に走っていきました。

こうして、受験は、終わりました。


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