裏の裏ページ pochi mania
偶然と必然
偶然が、いくつか重なることって、ありますよね。
それって、本当に、偶然なのかな?って、思うことがあります。
一つや二つくらいだったら、それこそ「偶然」という言葉で、何も問題はないのですが・・・。
看護学校を出た後、pochiは、福祉の勉強がしたくて、大学に再び入学しました。
(夜間部なのですが、公立大学なので、センター試験も受けました。社会人入試もあったのですが、それだけに賭けるのは危険、ということですよね。(^^ゞ)
一応、クラスはあるのですが、まだ、全員の顔と名前も一致していない、入学直後のことでした。
校舎の玄関を出るとすぐに、そこには、およそ10段くらいの階段があります。
一般教養の「憲法」の授業が終わって、校舎の玄関まで来た時、一人の女の子が、そこに立っていました。
佇んでいるという感じでした。
誰かを待っているとかではなくて、これから降りていく段差を前にして、立ち止まっている。
「???」
『何、やってんだろう?階段が怖いみたいじゃない・・。』
横顔が見えると、同じクラスの女の子でした。
『確か、ドイツ語の教室にも、いたよな・・・。』
そう思った時、やっと、意を決したかのように、その子は、階段を降りていきました。
なんだか、腑に落ちない気持ちもしましたが、特に、何かがあったわけでもなく、すぐに忘れてしまいました。
ある日、授業が終わって帰ろうとした時、別の授業に出ていたその子に、偶然玄関の手前で、出くわしました。
「確か、同じクラスだったよね?」
そんな、間抜けな言葉で、話しかけたような気がします。
「あっ、はい。○○(pochiの本名)さんですよね?」
「知ってたんだ?」
「はい。クラスでも目立ってますから・・。」
まあ、社会人学生の数は少なかったですからね。
「ごめん。名前とか、覚えてないんだ。」
「××と言います。Junと呼んでください。」
「Junって、言うんだ。」
「名前だけだと、よく男の子に間違えられますけど・・。」
そして、問題の階段が・・・。
「あのー、実は、私、鳥目なんです。」
「!!」
「だから、ここに来ると、暗くて見えないから、ちょっと、怖いんです。」
普通だったら、『そうだったんだ』って、思うところなんでしょうが、なまじっか医療知識をある程度知っている者としては・・・。
瞬間的に、『まずいんじゃないか?』って、そう考えざるを得ませんでした。
「それって、いつくらいから?」
「うーん、かなり小さい頃からです。」
もう駄目押しって、感じでした。
鳥目は、正確には「夜盲症」と呼び、ビタミンAの不足が、その原因となることが多いものです。
でも、今の日本で、ビタミンA不足で夜盲症になっている人は、ほとんど、いないのでは、と思います。
それに、もし仮に、そうだとすると、大学の夜間部に入学することが決定した時点で、治療するはずですよね。
と言う事は、「ビタミンA不足が原因ではなく、かつ治療が困難なもの」なのではないか。
そういう結論に達するのに時間がかかりませんでした。
「小さい頃から」ということになれば・・・。
ある一つの疾患名が、すでに浮かんできていました。
でも、夜盲症が出現する疾患は、他にもあるので、そう簡単に決め付けるわけにもいきません。
それに、診断をくだすのは、ドクターの役目。
そんなことを、考え始めたためか、その後、どういう話しをしたのかは、よく覚えていません。
Junは、どちらかというと、人見知りするタイプなのですが、ある程度年齢が離れていることもあって、変な意識をしなくてすむので、pochiは話しやすい相手だったんだと思います。
いろいろな話しをしました。
そして、そんな中に、気付かれないように「問診」も、織り交ぜて・・。
その答えを聞くごとに、だんだんと確信が強まっていきました。
疾患名は「網膜色素変性(症)」といいます。
遺伝性の病気で、小さい頃からの夜盲症に始まり、徐々に視野が狭まっていき、最終的には、失明に至る可能性があります。
現在のところ、治療方法はなく、進行を遅らせる方法も、いくつか考案されてはいるものの、効果の程は定かではない。
それが、医療面での一般的な認識です。
「蔵」という物語(宮尾登美子著)を、ご存じな方ならば、主人公の烈が同じ病気であると言えば、わかりやすいかもしれませんね。
こういうことも、ありました。
「三鷹って、どう行けばいいんですか?」
「三鷹?何か、用事があるの?」
「はい。病院に行くんです。」
「どこか、悪いの?」
「前からなんですけれど、肩こりがひどくて・・。」
「うん。」
「それで、鍼をうちに行こうと思って。」
「鍼だったら、この近くにもあるんじゃないの?」
「母が、どうしても、そこにしたほうがいいって、言うので・・。」
ちょっと、詳しく聞いてみると、特殊な鍼のうち方をする病院ということだけ、わかりました。
でも、それだけで、十分でした。
以前、その病院の院長が書いた本を読んだことが、あったんですよね。
念のため、読み返してみると・・・。
適応例のところには、思った通り、「網膜色素変性(症)」の文字が。
正直、どの程度まで、効き目があるのかということについては、個人的には否定的な感触がありました。
それでも、母親の気持ちもわかるような気がしました。
効き目があるかどうか、わからなくても、現実に、なす術がないのなら、言葉は悪いのですが、ダメもとであっても・・・。
医療・看護の面から、できることって、何だろう?
その頃は、そんなことを、ずっと考えていたような気がします。
例えば、末期癌の患者さんを前にした時、治癒という点では、可能性が低くても、残された日々をいかに充実して過ごしてもらえるか、家族をどうサポートしていくか、など、なんらかのやるべきことがあります。
でも、こういう場合では?
本人は、まだ知らない(ように見えました)。
治療の場に、連れて行っても、治療方法もない。
残された日々を・・という感じでもない。
途方に暮れるって、こういうことなのかな、なんて思いました。
『なんで、看護士である、俺の前に、現れるんだ?』
そうでなければ、こちらも知らなくて、すんだのに・・・。
ブレイクスルーという言葉があります。
わかりやすく言えば、「発想の転換」のような意味かもしれません。
特に、きっかけがあったわけではないのですが、「中途で失明した人」はどうしているのだろうか?
そんな疑問が浮かんできました。
街を、白い杖をついて歩く人がいる。
でも、あれは、練習が必要なんじゃないか?
だったら、それを指導する人って、いないのだろうか?
全てが解決するとは、とうてい思えないのですが、一つの突破口が見えてきた。
そんな気がしました。
調べていくと、埼玉県の所沢市に、
国立身体障害者リハビリテーションセンター学院
という学校があり、その中に、
視覚障害生活訓練専門職員養成課程
というところがあることが、わかりました。
即座に、大学を辞め、その学校に行く決心をしました。
それまで、漠然と、福祉の勉強をしたいと思っていたのですが、具体的な目標という点では、自分自身物足りなさを感じていたのも、決心を早めた理由かもしれませんが。
1年で、合格できなかったら、次の年に、もう一回受けるだけ。
自分にとっては、それだけのことでした。
Junには、辞めることも、辞める理由も話しませんでした。
細かく説明すると、気付かれてしまうのでは、という気持ち。
あと、きっかけはともかく、Junのために、そういう進路を選んだのではないという気持ち。
両方がありました。
「網膜色素変性(症)」の人は、Jun一人というわけではないし、中途視覚障害の原因にしても、他にもいろいろな疾患があります。
特定の誰かのために、という思いが行動の源泉になることもあるのでしょうが、自分自身では、それだけでは、ダメなんじゃないかという思いがありました。
視覚障害リハビリテーションを学んでいく中で、痛感したことがあります。
それは、あまりにも、知られていないということです。
一般の方にとっても、知名度は低いのですが、医療従事者にとっても、事情は同じです。
視覚障害者というのは、一度は医療機関を訪れます。
(身障者手帳の取得のためには、診断書が必要だということも、ありますし)
もし、そんなときに、そこにいる誰かが、一言、「視覚リハ」の情報を与えてくれれば、それ以降の人生って変わってくるのではないか。
そういう思いが強くなっていきました。
もちろん、ドクターやケースワーカーなどが、その役割を担ってもかまわないのですが、看護婦・士が一番話しやすい立場に、いるような気がします。
もし、将来、Junが、医療機関を訪れ、自分の病名を知ったとき、そこで、「視覚リハ」の存在を知ることができるのかどうかというのは、とても大きなことのような気がします。
(もちろん、視覚リハを活用するかどうかは、Jun次第だとは、思いますが)
そして、そのことは、Jun一人のことではない、そうも思っています。
自分自身、そこまでの力がないことは、よくわかっています。
また、遠い遠い夢なのかもしれないとも、思います。
でも、今、タネをまいておかないと、何も動き出さないのも、事実です。
芽を出さないかもしれませんし、途中で枯れてしまうかもしれません。
その時は、その時で、また、タネまきをすればいい。
そんな心境でいます。
Junと出会ったこと、その時自分が看護士だったこと、病気に気付いたこと、
一つ一つは、単なる偶然にすぎないんでしょうね。
でも、それら、全てが起こることも偶然なのかは、自分自身、なんとも言えません。
ただ、起こったことは事実だし、偶然にしても、必然にしても、今の自分の行動そのものは、変わらない。
それだけは、言えるような気がします。
ここまでの内容は、どう捉えられてしまうのか、なんだか見当がつきませんが、それは、読んだ方達に、お任せしたいと思います。
最後に、
今まで、書いてきたことと直接的には、つながらないかもしれませんが、
自分自身、
「過去は変えられない。でも、未来は変えられる。」
そう言うことは、よくあります。
でも、こういう風に考えることもあります。
「過去は変えられない。でも、過去の意味を変えることはできる。」
と。
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