悲しいこともあれば、
頑張るぞぉ〜って気持ちいろいろな日々
なぜに看護婦になったか。。。。
みつきの小学校4年生の頃の文集を見てみると、将来の夢、看護婦さんか保母 さんになりたいと既に書いてました。
と言うよりたいてい女の子のなりたい 職業と言う物は、大抵パターン化してるのと同じような感じだった様に思う。 個人的に。
だってどうしてなりたいかぁ〜ってあの当時聞かれたとしても本当の 動機なんてわからなかったと思うな。子供の頃の将来の夢って思いつきだったような きがする。
それから、中学3年生の頃TVのCMに准看看護学校生徒募集というのを目にした 私は、中卒でも進学出来るんだぁ〜じゃぁー私も受験出来るなぁって思ったのですが 結局、地元の某県立高校に進学したのです。
ある日、私の祖父が病院に入院しているときお見舞いに行きました。
その時、三角巾している若い看護学生さんがはつらつと働いてる姿を見た私は単純にやっぱ り!いいなぁ〜と再度見習い看護婦に憧れを抱いたのでした。
なにがいいのか?その時は、下積みから頑張ってるっていう姿が、あの当時の私には刺激 になった動機でした。
今、考えると本当に単純な動機で志したのでした。
高校卒業と同時に地元の外科病院に就職近にある医師会の准看学校に進学したのでした。
ここからが、私の新たな人生の始まり、出発となった分けで。。。
要は、ホント!山あり谷あり(泣)勤労学生時代を過ごしたわけです。
みつきが高校卒業して就職した病院は救急車がくる外科病院でした。
なぜ、外科を選んだのかと言うとバリバリに処置が出来るようになりた〜い とこれまた単純な動機でした。その時のみつきにとっての看護婦像は処置を こなせる看護婦=カッコィーと思い描いていたのです。
しかし、処置が出来る=そこまでの苦労というものまでは考えもしなかったのです。
あの当時、めちゃくちゃ看護婦不足の時代だったものでそういう時にかぎって事故 が多いし救急車の出入りが激しかったと思うのは自分だけ? と錯覚してしまいますがホントハードな准看学生時代を送りました。
もちろん、どこの病院も猫の手を借りたいほどに看護婦募集を出してたのをよく目に してました。
ここ最近は、チラホラ看護婦募集を見ますが、あの当時ほどはないような気がする のはやっぱ自分だけ?と感じます。
時代の流れと変わり様にこの仕事をしながら感じてます。
とにかく就職した当時は、普通科出身で看護の勉強なんて何一つしてないみつきでしたので 清潔・不潔操作なんてわかんないし意味すら分からん状態でした。
処置介助に付いても、突然「不潔!!」と、かなりのお叱りを受けたり。。。 不潔?あたし不潔?・・・とかぁ〜
ハッキリ言ってあたしは、素人だぞぉ?なんで怒られんといかんと?
それとか、処置に使う摂氏(セッシ)←ピンセット・セーレ←はさみ等の名前すら分からなかったのです。
あの当時は・・・一つ一つの事に対し覚えるのに大変だったしそれに対してお叱りをうけながら処置と言う ものを覚えさせられた様な気がします。。。。。。。。
この経験は、今でも、何事も修行だね!って思うように 心がけるようになりました。
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